物忘れ
タイトルを決めてから、数日が経っている。
物忘れについて書こうとしていたことを、すっかり忘れていた。
いきなり、下品な話となるが、勘弁願おう。
普段、小用をたすときには、社会の窓を開けて、下着の隙間からブツを引っ張り出し、用が済んだら、ブツをしまい、チャックを引っ張り上げて窓を閉じる。
言い忘れていた。私は、男である。
昨年の暮れから、レギンスなる防寒のアンダーウェアを使い始めた。これが至極快適で、もはや冬の間は皮膚の一部。手放せないものとなった。
それ以来、どうしたものか、社会の窓を開放したまま街に出てしまうことが多くなった。
小用の際、無意識に行う動作のパターンが変わってしまったからであろう。
レギンスには、男性用股引のような社会の窓がない。ズボンのチャックを下げただけでは、ブツにアクセスできない。よって、ベルトを外して、下腹部をV字形に大きく解放、レギンスを引き下げて、ようやく下着までたどり着く。
さて、用事を済ませて、逆の手順で元の姿に戻ろうとするのだが、小用の時にベルトをいじるというのは、これまでに無かった動きである。
ベルトを外すのは、たいしたことはない。しかし、ベルトを締める際には、シャツや上着の下端を整える必要がある。ここで大幅に動作のパターンが崩れる。無意識レベルでは、ベルト締めに伴う労働量は相当らしい。私の脳みそは、ベルトを締め終わった段階で、任務完了の指令を身体に送るようだ。そして、チャックを閉めずに、便所をあとにするのであろう。他人事のように話している。
行動がパターン化されて、後からどのような手順でこなしたか、はっきり思い出せないことと言えば、カギの開け閉めは最たるもの。
ちゃんと戸締まりしたのか不安で、仕事からの帰途、職場に舞い戻ったことがしばしばある。たいていは、澄まし顔してきちんと閉まっているカギに迎えられる。
安堵と同時に、怒りがこみあげる。
とりわけ、風雨激しい日には、家路を急いでいるから、施錠したことなんぞ意識していない。その風雨の中を舞い戻って味わう、さらなる安堵と自己嫌悪。
道具の置きっぱなし、電気のつけっぱなしも、ひとによく注意される。
故意にそうしているわけではないし、自分でも意識しての行動を心がけているのだが。
まさに、己との戦いである。