ものなおし
ものを作るのも直すのも好きである。
身の回りで使っているものが、傷付いたり、調子悪くなると、つい、自分で直したくなる。
好きなだけで、得手というわけでは無い。 どだい、素人が試行錯誤しながらやることであるから、時間がかかるうえに、十中八九はうまくいかぬ。
じつに、ものなおしは奥が深い。
ものづくりには違いないが、「修復」となると、独創的な表現は許されない。
素材がもつ特性をふまえたうえで、修復部分の色合いや質感を、周囲に「なじませる」という技術が必要になる。これが難しい。目に見えない技の部分で自己表現する修復家は、尊敬に値する。
日常レベルで、ものなおしをやるヒトには、2種類がいる。
ひとつは、もったいないという思想に基づく、環境配慮型。積極的なものなおしである。
もうひとつは、お金が無くて新しいものが買えないからという貧乏型。消極的なものなおしである。
自分は、後者でありながら、強がりで前者を装っている、という第三のタイプである。節約型とでもいえば、聞こえがよい。
所帯を持つと金銭的な我が儘が利かぬから、以前にも増してものなおしの深みにはまることになった。
例えば、お気に入りの帽子がある。映画の中のジョーンズ博士がかぶっていたものと同じメーカーのフェルト帽である。土埃舞う屋外の現場では、お守り代わりにこれを深くかぶる。
今時、中折れ帽をかぶっている人は少ない。街中ではなんとなく浮く感じなので、小脇にかかえて現場まで通勤する。
小脇に抱えているから、ちょっとした拍子につぶすことがある。金属疲労と同じで、幾度も同じところにシワが入ると、やがてヒビがはいって穴が開く。高価なものだが、およそ一年目でこうなる。 兎の毛で作られたファーフェルトは、一度穴があくと元には戻らない。
その穴をふさぐ方法を考えている。
フェルトの性質から、湯に漬けて石鹸を塗り、ほぐして緩んだ毛同士が再び絡まないかと考えてみる。結果は、そううまくはいかぬ。
叩いたり揉んだりしているうちに、色落ちがはじまった。穴はふさがっていない。要するに、傷が広がったのである。
今度は、染めなくてはならなくなった。染め粉を買う。要するに、余計な出費が増えたのである。
当然、貴重な時間を費やしている。要するに無駄に生きているのである。
結果、妙な色に発色した穴あきの帽子ができあがった。
当座、新しい帽子を買う金がないのに染め粉を買う金ならある。そこが落とし穴なのである。ものなおしの深みにはまると、違う意味で貧乏暇なし。
こうして、一生この性格について行かねばならない。
優雅なものである。