TinkerDigger’s blog

誰かも同じことを考えているに違いない日常。

 いつだったか、駐車場か賃貸住宅の看板を撮したモノクロの写真が良かった。
「あきあります」と読むべきところの「空あります」の文字が、切り取られた構図の中では疑いもなく「そらあります」と読めるのであった。
 建て込んだビルの隙間にのぞく貴重な青空を背景にした看板だった。モノクロ写真だが、確かに空は青かったように記憶している。
 東京の田端に越してきてから十年近くになる。
 昭和二十四年、この平屋の借家は、空襲で焼き尽くされた何も無いような田端の台地に姿を現した。大家さんから聞いた話をもとに勝手に想像している。
 すぐ近くに暮らしていた芥川龍之介によれば、この高台に吹きつける風は、相当強かった。
 家のすぐ東には崖線があり、崖下を東京の動脈である山手線が間断なく往来している。田端駅のホームから見上げると、我が家は、少なくとも駅より空に近い。
 その我が家には空が無いのである。
 今となっては希少な平屋は、周りの複数階建ての家に囲まれて、屋根の上を歩き回る野良猫にしてみれば谷間、いや窪なのである。
 縁側を擁する窓は南西を向き、その向こうには、二階建てのアパートが立ちはだかり、日本の景観を損なう最も忌々しい人工物であるところのエアコン室外機が目に飛び込む。
 実は、縁側があるからには庭がある。私がこの借家を人に説明するときには、幾ばくかの優越感を味わうことができる。昨今都心では珍しい縁側付きの庭があるのです。先の住人がこしらえた池もあります。聞いた人はどのような光景を想像するであろう。
 庭の広さは、七畳半。このあたりから、優越感がだんだん怪しくなってくる。庭から眺める空の広さも七畳半なのである。切り取られた空は、顎を水平にしないと観ること能わずなのである。七畳半の空を横切る日の光、月の明かり。これこそ、我が家にとって貴重なものである。
 家々の谷間にある借家は、込み入った住宅の壁に守られて、強い風の日も辛抱強く静かに大人しく、我々夫婦の拠り所となっている。
 我々が退去して空き家になつても、「空はありません」。