TinkerDigger’s blog

誰かも同じことを考えているに違いない日常。

保護鳩

 一羽の鳩がうちにやってきてから一月経った。

 近所のビルのエントランス片隅で、羽を痛めてうずくまっていたところを、買い物帰りにみつけて、連れて帰ったのである。右翼の一部がつつかれたようにむしられて出血しており、風切羽がだらりと垂れている。私が両手を差し出すと、ややたじろいた風であったが、そのあとは大人しく両手に納まった。
 この時節、ドバトはどこの獣医も相手にしてくれないようである。かといって、同じ生き物としてむげに見て見ぬふりして放り出すわけにもいかぬ。傷が癒えるまで我が家で飼ってみることにした。
 以前、コザクラインコを飼っていたときに使っていた竹の鳥籠に入ってもらった。籠にいることを好まぬ人なつっこい小鳥であったから、九官鳥サイズで大きめの籠を用意していたのが幸いした。
 籠の中の鳩は大人しくしている。うんともすんとも言わぬ。四六時中甲高い声で鳴いていたコザクラインコはえらい違いである。 
 最初は豆鉄砲を食らったような眼差しで両脚を立てていたが、やがて腹を床に付けて休む姿勢をとるようになった。少しは安心したのであろう。穏やかな黒い瞳でじっと遠くを見ている。若い個体のようで、ふっくらとした鳩胸で毛艶が良い。のだが、だらりと垂れた右の翼が心配である。自然治癒力で治るとよいが。
 とりあえず、「鳩のごはん」なるものを近所のホームセンターで買ってきた。ポップコーンが作れそうなトウモロコシの種がたくさん入っている。スフレ皿に入れて様子を見ることにした。名付けの天才(?)である妻が「ポッポー」と呼びかけている。
 ポッポは、緊張がほぐれたのか、別のスフレ皿に用意した水を飲むと、器用に頭を動かしながら、トウモロコシの種をスフレ皿の外にぶちまけ始めた。小さめの種を探しているらしい。鳩のくちばしが弾いた種がスフレ皿に当たるたびに、チンチンとかすれた鈴の音がする。
 なんと行儀が悪いのであろう!と、ひとしきり不機嫌になった後で、ああ確かに、食器はヒトが創り出した枠組みであって、ハト社会には無意味な代物なのだ。と思い直した。

 そのポッポも、座敷の鴨居に渡した竹竿の上で一日中過ごすようになった。床に設けた「餌コーナー」と往復できるくらい翼が使えるようになってきた。ほぼ室内で放し飼いである。竿にとまる場所は決まっていて、下に新聞紙を広げておけば、思いのほか糞の始末も楽である。
 時折、バサバサと飛び降りてきて、畳の上をトットットッと足音をたてながら、我々と絶妙な距離を保ちつつ当たり前のように散歩していている。
 消灯時、布団にくるまりながら、鴨居の竿に居るポッポを見上げて、妻が言う。
「なんか不思議じゃない?」
 言われてみれば、シュールである。

物忘れ

 タイトルを決めてから、数日が経っている。
 物忘れについて書こうとしていたことを、すっかり忘れていた。

 いきなり、下品な話となるが、勘弁願おう。
 普段、小用をたすときには、社会の窓を開けて、下着の隙間からブツを引っ張り出し、用が済んだら、ブツをしまい、チャックを引っ張り上げて窓を閉じる。
 言い忘れていた。私は、男である。
 昨年の暮れから、レギンスなる防寒のアンダーウェアを使い始めた。これが至極快適で、もはや冬の間は皮膚の一部。手放せないものとなった。
 それ以来、どうしたものか、社会の窓を開放したまま街に出てしまうことが多くなった。
 小用の際、無意識に行う動作のパターンが変わってしまったからであろう。
 レギンスには、男性用股引のような社会の窓がない。ズボンのチャックを下げただけでは、ブツにアクセスできない。よって、ベルトを外して、下腹部をV字形に大きく解放、レギンスを引き下げて、ようやく下着までたどり着く。
 さて、用事を済ませて、逆の手順で元の姿に戻ろうとするのだが、小用の時にベルトをいじるというのは、これまでに無かった動きである。
 ベルトを外すのは、たいしたことはない。しかし、ベルトを締める際には、シャツや上着の下端を整える必要がある。ここで大幅に動作のパターンが崩れる。無意識レベルでは、ベルト締めに伴う労働量は相当らしい。私の脳みそは、ベルトを締め終わった段階で、任務完了の指令を身体に送るようだ。そして、チャックを閉めずに、便所をあとにするのであろう。他人事のように話している。
 行動がパターン化されて、後からどのような手順でこなしたか、はっきり思い出せないことと言えば、カギの開け閉めは最たるもの。
 ちゃんと戸締まりしたのか不安で、仕事からの帰途、職場に舞い戻ったことがしばしばある。たいていは、澄まし顔してきちんと閉まっているカギに迎えられる。
 安堵と同時に、怒りがこみあげる。
 とりわけ、風雨激しい日には、家路を急いでいるから、施錠したことなんぞ意識していない。その風雨の中を舞い戻って味わう、さらなる安堵と自己嫌悪。

 道具の置きっぱなし、電気のつけっぱなしも、ひとによく注意される。
 故意にそうしているわけではないし、自分でも意識しての行動を心がけているのだが。
 まさに、己との戦いである。

屋根

 もう七年前の話になる。
 先日の台風以来、ハナレのトタン屋根がバタバタと音をたてはじめた。
 不動産屋に連絡しても音沙汰なし。
 隣に住む石工のKさんが道具を貸してくれるというので、脚立を使って、おっかなびっくり塀をつたい、屋根の具合を観察してみる。
 トタンはひどくゆがんでいるが、応急処置ならなんとかなるだろう。ありあわせの釘をもらい、ゲンノウとペンチを借りて、トタンのゆがみを直しながら、打ち付けていく。築六十年であるから、トタンの下の木材が所々、スカスカに風化している。
 初めて、母屋の瓦屋根も眺めてみた。あそこに寝ころんだら気持ちよさそうだ。他界してしまった飼い猫と瓦屋根の上で日向ぼっこしてみたかったな。などと目下のトタン屋根にしがみつき、釘を口にくわえながらもごもご独り言を言っている。
 南側に建つお宅の二階のベランダから、初老男性の隣人が歯を磨きながら「大変だねぇ」などと声をかけてくれる。平屋の我が家でやっていることは、周囲の二階からは丸見えである。完璧な防犯体制なのがありがたい。
 雨が降ってきた。
 あっという間に、干からびていたトタンに、ぽつぽつと雨水の斑点が増殖したかとおもうと、斑点はひとつの大陸模様に、いや大海原になって、流れ出した。

百均

 百均でしか買えないもの。
 まず、現場で掘削範囲出しに使う細くて長めのビニール紐。本来は荷造り用のものである。工事用の水糸に比べると、バックホウのオペレータからの視認性が良く、風になびくこともなく、ひと巻き130メートルくらいの長さがあってコストも安い。皆が心配するほど弱くない。スズラン紐じゃだめである。10年くらい前から愛用している。

 ノートパソコンを持ち歩くときに使うデニムの巾着もお気に入り。クッションなどという余計な芯がないから、畳んでおけるし、ファスナーパーツの干渉を考える必要がない。以前、本革の高級ケースにいれていたときは却って本体にケース当たりの擦り傷ができたものである。昨今の百均では、化繊の巾着が増えてきて残念なことである。

 小さなスウェードポーチも貴重。会話嫌いの自分が休憩時間、人から離れるための重要アイテムとなるマルボロとジッポを入れていた。中身が中身だから、内張も不要。外側の土汚れが拭き取りやすく劣化しにくい本革であればそれでよい。動物皮革は感謝して信用して無造作に使えるものである。こうしたものは、案外普通の袋物屋には売っていない。大抵、オシャレに作り込まれすぎていて、厚みがあり、よくない。百均でも、昨今は合成皮革製が増えてきて、みかけなくなってしまったのは残念なことである。なくして買い換えのときは困った。池袋の「ひまわり」という店でみつけることができた時の感激は忘れられぬ。マイ定番とは恐ろしいもので、千円出しても良いと思った。

ものなおし

 ものを作るのも直すのも好きである。
 身の回りで使っているものが、傷付いたり、調子悪くなると、つい、自分で直したくなる。
 好きなだけで、得手というわけでは無い。 どだい、素人が試行錯誤しながらやることであるから、時間がかかるうえに、十中八九はうまくいかぬ。

 じつに、ものなおしは奥が深い。
 ものづくりには違いないが、「修復」となると、独創的な表現は許されない。
 素材がもつ特性をふまえたうえで、修復部分の色合いや質感を、周囲に「なじませる」という技術が必要になる。これが難しい。目に見えない技の部分で自己表現する修復家は、尊敬に値する。

 日常レベルで、ものなおしをやるヒトには、2種類がいる。
 ひとつは、もったいないという思想に基づく、環境配慮型。積極的なものなおしである。
 もうひとつは、お金が無くて新しいものが買えないからという貧乏型。消極的なものなおしである。
 自分は、後者でありながら、強がりで前者を装っている、という第三のタイプである。節約型とでもいえば、聞こえがよい。

 所帯を持つと金銭的な我が儘が利かぬから、以前にも増してものなおしの深みにはまることになった。

 例えば、お気に入りの帽子がある。映画の中のジョーンズ博士がかぶっていたものと同じメーカーのフェルト帽である。土埃舞う屋外の現場では、お守り代わりにこれを深くかぶる。
 今時、中折れ帽をかぶっている人は少ない。街中ではなんとなく浮く感じなので、小脇にかかえて現場まで通勤する。
 小脇に抱えているから、ちょっとした拍子につぶすことがある。金属疲労と同じで、幾度も同じところにシワが入ると、やがてヒビがはいって穴が開く。高価なものだが、およそ一年目でこうなる。 兎の毛で作られたファーフェルトは、一度穴があくと元には戻らない。
 その穴をふさぐ方法を考えている。
 フェルトの性質から、湯に漬けて石鹸を塗り、ほぐして緩んだ毛同士が再び絡まないかと考えてみる。結果は、そううまくはいかぬ。
 叩いたり揉んだりしているうちに、色落ちがはじまった。穴はふさがっていない。要するに、傷が広がったのである。
 今度は、染めなくてはならなくなった。染め粉を買う。要するに、余計な出費が増えたのである。
 当然、貴重な時間を費やしている。要するに無駄に生きているのである。
 結果、妙な色に発色した穴あきの帽子ができあがった。
 当座、新しい帽子を買う金がないのに染め粉を買う金ならある。そこが落とし穴なのである。ものなおしの深みにはまると、違う意味で貧乏暇なし。

 こうして、一生この性格について行かねばならない。

 優雅なものである。

鈴虫

 季節外れの話題で恐縮している。
 我が家のクサガメが春の目覚めである。亀が狭そうに泳ぎ回るこのガラスの水槽をみて思い出している。

 2009年の夏であったか、近所のスーパーで売られていた鈴虫を連れて帰った。
 プラスチックの小さな水槽に、オス二匹、メス三匹が入れられていた。
 どんなふうに鳴くのであろう。
 観察し始めたのがいけない。音源の実態をみてはいけなかったのだ。
 当初期待していた風流さはどこへやら、次第に、生物界の厳しさがやたら目につくようになってしまった。
 身体が一回り小さいオスが鳴くと、大きい方のオスがそれを追いかけて邪魔に入る。
 そのうち、小さい方は面白い行動をとるようになった。大きい方が鳴くのに合わせてバックで鳴くのである。大きい方が鳴き止むのにあわせて、鳴き止む。
 明らかに鳴き声を競っているようには見えない。あえて、自らの声がかき消されてもよいといった風である。鈴虫が鳴く意味は何だろう。メスを呼ぶために鳴くというのなら解りやすい。
 彼は違った。鳴くこと自体が目的なのである。いや、むしろ、鳴かずにはいられないから隠れて鳴くのである。そう思った。
 面白いことに、大きなオスが先に死んだ。早々に結婚相手を見つけて果ててしまったのかもしれない。そののちしばらくは、小さなオスの独壇場となった。

 厳しい話が続く。私が初めて卵から面倒をみることになった二代目の鈴虫達。孵化直後は、おびただしい数で、ゴキブリの赤ん坊が水槽の中を跳ね回っているような気色悪さであった。件の水槽を用意することになった。
 その後、それでも狭い水槽の中では、接触事故が相次ぎ、脱皮に失敗する個体が続出。最後の羽化の難しさはみるに耐えなかった。厚紙で屏風のような衝立をこしらえるという面倒な作業が発生した(我ながら、当時、大きな飼育箱を用意してやらなかったのが不思議だ)。脱皮の途中で、ほかの個体と接触して驚くと、固化していない体のまま動きだしてしまう。産卵管や後ろ足に抜け殻がまとわりついたままの成虫は哀れである。鈴虫の飼育に風流さなどどこにもない。

 2011年、触角がねじ曲がった鈴虫が、一匹、ガラスの水槽の中を這いずりまわっていた。三代目、最後の個体である。
 その年も、百をくだらない数の幼虫が孵化したのだが、無事に羽化したオスはこの一匹だけであった。無事にというのは正確ではない。触角がねじ曲がって先端が腹の下にもぐりこんでいる。ごく当たり前の触角を持たぬこの個体は、どうみても早死にすることが予想された。貧相な触角のために、動いていないと死骸にみえる。
 触角の生え際が左右とも下を向いているので、延命の願いを込めて、「バッファロー」といういささか勇ましいニックネームをつけた。蝶などの昆虫を数えるときは、「頭」という数詞を使うのは知っていたが、バッファローこそ、一頭と呼ぶに相応しいなどと勝手に満足している。
 羽化してから2日間は、うんともすんとも言わぬ。もとよりうんともすんともいわないメスは、六匹が羽化した。どのメスも、淘汰されて生き延びてきただけあって、グラマーで肥えている。ゆらゆらと長い触覚を優雅にゆらしている。
 バッファローは、羽化してから三日目におずおずと鳴き出した。
 次第に調子にのってきたらしい。秋の夜長に涼しげな声を響かせるようになった。外ではコオロギが鳴いている。カネタタキの声も存外たくましく聞こえてくる。バッファローは、鈴の音さながらに、ややかすれた声が持ち味である。
 みかけによらず。とはこういうことをいうのだろう。
 バッファローは、タフであった。立派に鳴き続けた。メスを獲得するという点においては独壇場であって、他にオスがいないのだから、黒一点、メスばかりのハーレムである。
 ところが、彼の声を聞きつけて、メスが最初の挨拶宜しく彼の背中に乗ろうとすると、彼は意外にも「邪魔しないでくれ」といわんばかりに逃げ回るのである。
 虫の専門家に、この行動の所以を説明してもらいたいものだが、自分なりに観察してみる。
 彼もやはり、鳴くこと自体が目的であるようにみえる。当座、彼には子孫を残す目的はないのかもしれない。
 好きなことをして、子供を作らなかった自分に彼の行動がオーバーラップする。
 鈴虫など飼うものではない。

 いつだったか、駐車場か賃貸住宅の看板を撮したモノクロの写真が良かった。
「あきあります」と読むべきところの「空あります」の文字が、切り取られた構図の中では疑いもなく「そらあります」と読めるのであった。
 建て込んだビルの隙間にのぞく貴重な青空を背景にした看板だった。モノクロ写真だが、確かに空は青かったように記憶している。
 東京の田端に越してきてから十年近くになる。
 昭和二十四年、この平屋の借家は、空襲で焼き尽くされた何も無いような田端の台地に姿を現した。大家さんから聞いた話をもとに勝手に想像している。
 すぐ近くに暮らしていた芥川龍之介によれば、この高台に吹きつける風は、相当強かった。
 家のすぐ東には崖線があり、崖下を東京の動脈である山手線が間断なく往来している。田端駅のホームから見上げると、我が家は、少なくとも駅より空に近い。
 その我が家には空が無いのである。
 今となっては希少な平屋は、周りの複数階建ての家に囲まれて、屋根の上を歩き回る野良猫にしてみれば谷間、いや窪なのである。
 縁側を擁する窓は南西を向き、その向こうには、二階建てのアパートが立ちはだかり、日本の景観を損なう最も忌々しい人工物であるところのエアコン室外機が目に飛び込む。
 実は、縁側があるからには庭がある。私がこの借家を人に説明するときには、幾ばくかの優越感を味わうことができる。昨今都心では珍しい縁側付きの庭があるのです。先の住人がこしらえた池もあります。聞いた人はどのような光景を想像するであろう。
 庭の広さは、七畳半。このあたりから、優越感がだんだん怪しくなってくる。庭から眺める空の広さも七畳半なのである。切り取られた空は、顎を水平にしないと観ること能わずなのである。七畳半の空を横切る日の光、月の明かり。これこそ、我が家にとって貴重なものである。
 家々の谷間にある借家は、込み入った住宅の壁に守られて、強い風の日も辛抱強く静かに大人しく、我々夫婦の拠り所となっている。
 我々が退去して空き家になつても、「空はありません」。